復職できる、かな?
5月中旬に交通事故にあい、救急車で運ばれ、入院、左手足まひ、からリハビリで回復、復職、の様子を記事にしています。
やっと一人で立って歩けるようになったが、スパルタ(?)のリハビリ専門施設への転院と、もしかしたら「高次脳機能障害」があるかもしれない、というのが今までの記事です。
今回は高次脳機能障害、私がどうだったか、の話。
高次脳機能障害とは、私のような交通事故での脳外傷などにより、キレやすくなったり、注意力がつづかなくなったり、と外見からはわからない、「高次」の脳機能障害のことです。
高次脳機能障害がある、となると、元の職場への復職どころか、仕事自体ができなくなったりします。
リハビリ専門施設に転院、心理テスト?
6月初旬に、リハビリ専門の施設に転院できた。救急車で運ばれた最初の入院先では、高次脳機能の検査は簡単なものだった。ここで臨床心理士による「神経心理学的検査」を受けることで、脳の画像だけで判断できない認知機能の評価をすることになる。
最初に担当医との面談で、「hyoga67さん、心理テストやります、XXXX」と予定を説明される。
「へ?心理テスト?
食べるもので一目惚れレベルがわかる、
とかそんな感じ?」
と思ってしまった。
まったく私の勘違いで、要は知能テストを網羅的にやって、評価します、ということだった。この知能テスト、が評価の説明含め、3週間ほどかかった。評価を聞くまではどきどきでした。
よう知らんけど、やった内容は「ウエクスラー式知能検査」とか、「ウィスコンシンカードソーティングテスト」とか他にもいろいろあったみたい。記憶、注意、遂行機能、知的機能の検査らしい。担当医は「心理テスト」と呼んでいた。
高次脳機能の障害はある?
最初の病院に入院中、高次脳機能に関して、ひとつだけ気になっていることがあった。
看護師さんの担当が毎日変わり、名札を見せながら挨拶してくれるのだが、
事故前と同じ感覚で、名前が覚えられない気がする。
この時期にやった高次脳機能の検査も暗算でひとつあからさまに間違った。
ついでに県知事の名前が答えられなかった(これは重要なのかな?)。
脳、ぶつけてダメになったんかい?
やはり元の仕事には戻れないのか?
睡眠不足で酔っ払いと同じに?
記憶に関して、入院直後は不安があったが、転院するころは回復した。
原因を推測すると、最初に入った救急病棟で眠れなかったことでは、と思っている。
最初は救急病棟に入って危なくないか、経過を見る。
容態が急に悪化する場合があるからだ。
なので私のベッドまで夜看護師さんが1時間おきにチェックしにくる。懐中電灯を私の顔に当てて大丈夫か見る。手厚いチェック体制で安心だが、その度に目が覚める。
さらに救急病棟は24時間稼働している。救急の患者さんがきても、対応する必要がある。私も救急車で運ばれてから、迅速な医師たちの懸命な対応で適切な判断をしてもらった。24時間救急患者を受け入れている施設なので、何かの警告音が常に鳴っている。
さらに何故か一晩中叫んでいる患者さんが日替わりでいらっしゃる。
その方々には悪気はないだろうし、そうせざる得なかったのだろう。
同じ病棟内なのでお互い様である。私自身も集中治療室から救急病棟に移ったのは夜の0時近くになっていた。しかし夜中に叫ばれてると目がさめる。
さらに個室ではないので、音は筒抜けとなる。何故かその時の救急病棟にいた方々は、いびきの大合唱がすごかった。
事故後はアタマを打っているので、1ヶ月くらい頭痛がひどかったのも災いした。頭痛薬はなぜか全く効かなかった。
10段階で痛みを答えろ、というルールがあり、私はいつも8くらいの痛みと答えていた。しかし痛みは一か月くらいで収まっていった。
元々環境が変わると眠れなかったりする私は、睡眠不足になったのだった。
一般病棟に移ったら、夜はそれまでより寝れるようになり、記憶もマシになった。
アメリカの大学の研究で、
6時間睡眠を2週間つづけると、酒に酔っているのと同じような状態になる、という記事を見たことを、思い出した。
心理テスト結果は?
さまざまな心理テストを2週間かけてやって、3週目にフィードバックを受けた。
担当の臨床心理士の方から開口一番
「大学院卒なのですか?」
と聞かれる。はあ、違いますが…。
何のことかと思ったら、テストの結果が平均値以上で良かったのでそうではないかと思った、とのこと。
テストの結果はもらえないらしい。なんか120、とか130とかいう数字が見えた。そういえば、作業療法でも似たような検査をやった時、「かなり速いタイムなので、新記録かも」とか言われたことがあったっけ。
でもなんか事故前の方がもうちょっとよかった気が…。
そこは臨床心理士の方が、
「事故前の検査はやっていないので、ご本人としては、下がっている、かもしれませんが、病院でできる検査としては、平均以上となり、問題なし、となります。」
と説明してくれた。
担当の作業療法士の方ともいろいろ高次脳機能について会話したが、
「ここで確認できる範囲では、問題なし。
後は実際の職場でやっていくしかない。
問題があれば、相談窓口があるから」と回答してくれた。
この時点でようやく、復職できるかもしれない、と感じた。
病院の検査と実際の仕事は違うが、仕事に戻れる可能性が上がった、ということだ。
キレやすい?
高次脳機能障害になると、キレやすくなったり、ささいなことで感動したりすることがある。
5月末、転院前後でお金のことで、パートナーと口論のようになってしまった。
パートナーに謝った後、おそるおそる「事故の後でキレやすくなってるかな?」
と確認してみた。すると…、「事故前と変わらない、いつも通り」とのこと。ほっとするべきか、反省すべきか…。
いや反省でしょう。
運動は脳にいい!
6月末に退院し、7月中旬まで自宅療養となった。退院後に担当医から言われたのが、
「有酸素運動は脳にいい、
体にもいい、全人類に必要です!」
ということだった。
この本を読んでから、ヒトはマシーンじゃなく、動物で、運動が大事なんだ、とおもっていたが、脳外傷になってからも、改めて、同じ答えにたどりついた気がする。
脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方
- 作者: ジョン J.レイティ,エリックヘイガーマン,John J. Ratey,Eric Hagerman,野中香方子
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高次脳機能障害の本を図書館から借りて何冊も読んだが、
「運動は体にいい、体にいいことは脳にもいい」
と書かれていた。リハビリで有酸素運動をするようにとも。
私自身事故前に比較すると、わずかだが、疲れやすかったりする。医師や本の案内に従って、有酸素運動を続けている。
主にジムのエアロバイクですが、車とぶつからないので。
産業医と面談、復職へ
7月中旬、元の職場の産業医を面談し、復職となった。
その経緯は過去の記事にあります。
多くの人に支えられてきました
復職するまで多くの方々に支えられてきました。
大変感謝しています。
運んでくれた救急隊員の方々。
脳外傷で判断が難しいところ、受け入れてくれ、脳の画像を短時間に複数名で見てくれた病院の担当医の方々。
救急病棟で動けない私を、明るく、馬鹿話をしながら励ましてくれた看護師やスタッフの方々。
手足が動かず、ヤケになっていた私のリハビリを担当された作業療法士の方。
転院先を調整してくれたソーシャルワーカーの方。
「早く戻って来い」と言い続けてくれた職場の方々…。
事故後のショックでずっと号泣していたが、泣きながらも必要なことに対応してくれたパートナー…。(後で聞いたら「火事場の馬鹿力でなんとかした」とのこと)
数えると本当にきりが無い…。
交通事故にあって多くの人を悲しませてしまったけれど、たまたま助かって、多くの人の支えで元の生活に戻ることができた。
今は自分は、
「命ほど大事なものはない」
「身体が動くことはありがたい」
「今の自分は多くの人の支えがあるからだ」
と思います。
長文で自分のことばかりでしが、最後まで読んでくれ、ありがとうございます。
自立歩行できた!が、しかし…
5月中旬に交通事故にあい、救急車で運ばれ、入院、左手足まひ、からリハビリで回復、復職、の様子を記事にしています。
入院して3週間くらい、杖で歩けるようになり、自立歩行もできてきた、しかし次の問題が!
という話です。
ジムに戻りたい
体がちゃんと動かない、まだ1人でちゃんと歩けない、そんな状態でもジムに戻りたいと思った。しかし左手足はイマイチ力が入らない。
試しにベッドの上で何も持たず、ベンチプレスの動作をやってみると、なんか力が入る感じがする!
たぶん神経回路がその動きを覚えていて他の動作に比較すると、神経回路が通りやすかったんじゃ?と勝手に思ってます。
ほかの動作は力が入らないのに不思議でした。
入院直後は、「ジム退会するしかないね」とパートナーと会話していました。
しかし手足が動くようになってくると、
パートナーが
「体が動くなら、この人は何言われてもジムには戻る」と思ったとのこと。
退会手続きはやめました。
杖での歩行
医師から「予想より君の回復は早かった」といわれ続けるくらい、手足が動き出してからの回復は結構早かった。
5月末には杖での1人での歩行が許可された。
自分のベッドから杖を使ってなら、病棟内を歩いでもいい、ということ。
リハビリで杖の使い方を教わったので、その動作で歩行した。
しかし歩くスピードは、かなり遅い。
ゆっくり歩くパートナーに置いていかれる。
「そんなに早く歩けないよ」と伝え、ゆっくり歩いてもらった。
パートナーも杖で歩く遅さに強いショックを受けた模様。
事故前は、私は早歩きだったので。
電車で移動することを想像した。
まずホームに行くまで段差がいろいろあり、転倒が怖い。
また、混雑した場所にこの杖で行っても、混雑で杖は見えない。
押し合うような混雑になったら立っていられない。
こうなると、優先席に健常者がもし座っていたら、杖でつつくしかない、とその時は考えていた。まじめに、このころは杖でつつく練習をやろうかと思った。
幸い、体が少しずつ動けるようになり、リハビリ専門の施設に転院する頃には杖無しの歩行訓練をするようになってきた。
リハビリの施設はスパルタ?
私が救急車で運ばれ、入院したのは、急性期の病院。病状が安定してきたら、本格的なリハビリの施設に移り、リハビリに専念することになる。
担当の医師からは、病状は良くなってきているが、悪くなる場合もある、と聞かされていたので、まだ安心はできない。
看護師さんたちとリハビリ施設への転院を話題にすると、決まって、
「リハビリの施設はスパルタらしいね!」とうれしそうに教えてくれる。
師長さんと今後の転院先の話をすると、
「リハビリの施設はスパルタで厳しいわよ!
うふふふっ!」
と、とても楽しそうである。
担当の作業療法士の方に聞いても同様の回答である。
小心者の私はブルブルと震え上がり、すっかりビビリモードになったのでした。
このコミックの中にも、リハビリ施設でのリハビリの様子がでてきます。
ソーシャルワーカーの方がリハビリに取り組むための転院先を調整してくれている。
複数のリハビリ施設の案内を見ていると、
「年配の方でもXX分間スクワットします」
とか書かれているものもある。怖いのでそこは避けるように依頼しました。
今ではどこに行っても同じでは、と思います。
なぜかというと、なるべく短期に社会復帰を目指すとなると、
本人ができる範囲で密度が濃い内容になるのでは…、と。
自重トレーニング開始
だんだん左手足に力が入ってくると、杖なしでの歩行訓練ができるようになった。
転院直前の1週間くらいは、病室で自重トレーニングをするようになった。
自室でためしにスクワット(ハーフとクォーターの中間くらい、ならできた)を
やってみたら10回が限度だった。
これでも大進歩ですが。
自立での歩行訓練、階段の上り下りの訓練、ができるほど回復してきたので、自重トレーニングも量を増やしてみた。
作業療法士さんには内容は伝えていた。
だんだんと回数を増やし、6月初旬にリハビリ専門の施設に転院するころには、
スクワット80回4セット、腕立て50回3セットまで伸ばした。
転院前後で体力が急速に回復し、健常者に近づいた、と感じ始めた、が…。
次の難題がまた待っていた。
高次脳機能障害って何?
運動機能が急速に回復してくるにつれ、担当の医師から
「高次脳機能のチェックが要るね」、
と言われるようになった。
「へ?コージノーキノーって何?」
と何も知らない私は聞きなれない単語に戸惑った。
頭を打ったり、脳梗塞になったりしないかぎり、通常は縁のない言葉である。
高次脳機能障害とは、私のように脳外傷などにより、キレやすくなったり、集中力がなくなったり、もの忘れがひどくなったりすることである。
外見上立って歩けて普通でも、高次脳機能障害があると日常生活に支障をきたす。
これがあるのかどうか、やはりリハビリの専門施設にいって病院でできる網羅的な検査をしなければわからない。
急速に運動機能が回復し、徐々に歩けるようになってきたが、
この「高次脳機能障害」があると復職は難しい。
体力は健常者に近づいたものの、高次脳機能障害、があるかもしれない。
高次脳機能障害は、転院先のリハビリの施設の待合場所に本が複数冊置いてあったので、読んだ。一番わかりやすかったのが、これ。
会社をつくって仕事を日夜がんばっていた主人公のコウジさん。
出版当時は高次脳機能障害について、行政やまわりの理解が今に比較するとまだまだだったところ、筆者が理解を深めるために、コミックという形を通して伝えようとしている。
パートナーと一緒に読みましたが、途中笑うところもあるし、二人で号泣するところもありました。
コウジさんはすばらしい就職先がありましたが、私の場合、読んでいたときはまだ復職できるか不明だったので繰りかえし読んでいました。
リハビリ施設はスパルタ、ということでビビッていた私だったが、検査をやって問題があるなら早くわかりたい、とも思うようになった。
もしかして、歩ける?
入院して1週間くらい、立ち上がれた!もしかして歩けるようになるかも!
という話です。
5月中旬に交通事故にあい、救急車で運ばれ、入院、左手足まひ、からリハビリで回復、の様子を記事にしています。
入院して1週間くらいの話。
立ち上がれる!
急に回復してきて、立ち上がろうとすると立てるようになってきた。
右足頼みだけど、立てる!
このあたりで、車いすじゃない生活かも、と思い始めた。
毎日リハビリ必死で前に進むことを考えていたので、振り返るヨユーはなかったけど。
事故直後は歩けなかったので、この漫画と同じになったかと思ってた。
ただ自分は回復してきたのと、脊髄の損傷とかはなかったので違うけど。
歩行器で立つ!
歩行器、というもので移動を許可された。
ベッドの端までずりずりと、移動して足を下ろす。歩行器につかまりながら、立ち上がる。
やっぱり、立てる!!
左足は力が入らないけど少し動くので、右足主体で移動できる!
歩行器はキャスターがついていて、病棟の廊下はツルツルなので、左足が力が入らなくても移動ができる。
歩行器、画像がないとイメージがつかみにくいと思い、Amazonで探したらありまし
た。
折りたためるタイプとそうでないタイプがある。この急性期の病院では、病棟所有のものを借りて、のべ4台ほど乗り継いだ(?)。
救急病棟の中を歩行器でソロソロと歩いていると、看護師さんたちがびっくりして指を指して、
「hyoga67さんが、歩いてる!」と言っていた。
師長さんも、「モデルさんみたいに歩けてるね!」と言って喜んでくれた。
事故で動けなくなって、何もかも世話してもらって生きていて、情けない気持ちになりがちなので、看護師さんや、師長さんの
励ましはストレートに胸に響いてきます。
歩行器に頼っているけど、立って歩けてるので、自分でもうれしい!
歩行器で移動して、初めて病棟の中の様子がわかった。
自分の視界に入るのが天井だけ、とは大違いだ。
担当の医師からは、
「君は動けるようになるとは思っていなかった」という状態だったので周りも驚いたようだ。
「君はレアケースだ」とも言われていた。たまたま、私の場合、急速に回復できたらしい。
その後担当医が文献にいろいろあたってくれ、
「同じような事例はあった。ただし回復期間は人による」とのこと。
本人としては、手足動かないよ!なんでだよ!医者が原因とか、この先の状態とかわかるんじゃないの?説明してよ!
と思うが、画像で見える問題点がないと話にならないらしい。
骨折とかだと、どれくらいで回復はわかるようだが、脳外傷で画像で見えない問題はわからないらしい。
コンピュータシステムとかだと、同じような現象が起きるのかどうか、再度同じ動作で確認してその時の状態を詳細にログに出すことで、何が起きているのか調べるヒントになる。
ヒトの場合だと、同じ事象が起きるのか、試すことができない。まさか車のボンネットに何人かぶつかるわけにいかない。
脳から来ている信号と、末端まで届いている信号の差を確認して、何が来ていないから手が動かない、とかわかるようになるかな?
もう研究はやってんだろうけど。
杖で歩くリハビリ開始
歩行器での移動に許可が出たので、リハビリルームまで歩行器で行って、リハビリを毎日やった。
杖での歩行訓練と、高次脳機能の検査だった。高次脳機能の検査は、記憶、とか、認知機能の検査となる。
次のリハビリ専門施設に転院後、本格的な高次脳機能の検査をやることになり、簡単な検査だけやり、リハビリは歩行が優先になった。
左手足は動かせるようになったが、力が入らない。
この頃左右の握力を測ったら、
右手が50キロ、左手は8キロだった。
足は数値では測ってないが、似たような感じだった。
杖の歩行訓練を始めてから、「スクワットためしにやってみましょう」と言われて、
自重だけでフルスクワットしようとしたら、
つぶれてしまった!
ありえない!
まさか立ち上がれないとは…。
スクワットで、一番重いときは130kgのバーベルかついでたこともあったのに…。
作業療法士さんのために言い訳すると、指示される課題(?)は、
そのときの様子を見ながら、訓練している人がクリアできるものだけです。
しかし、このときは私がフルスクワットの位置まで下げるとは予想しなかったようで。
クォーターくらいまでのイメージだったそうです。
すいませんねえ、スクワットと言えばフルなんで…。歳とって頑固になってるのかな?
そのときの状態は、
脳から信号を送っているが、手足に伝わってない感じ。
それでも少しずつ回復して杖での歩行訓練を始めた。
歩行器無しでの歩行は、恐怖だった。
左右を支えるものがなく、左足が頼りないのて、左右にふらふらして、転倒の恐怖がある。
歩行器は非常に安定していることがわかった。
でも、もし、立って歩ければ、家に帰れるかもしれない。
歩行器は楽だけど病院の真っ平らで広い床の上でしか通用しない。
そもそも歩行器は家の玄関につっかえて、入れない。
杖の使い方を教わって、ヨロヨロ歩く訓練を続けた。
歩くことが不自由になってから、
平らで段差がないことがいかに楽か、病院の外の世界は足が不自由だといかに大変か、
段差がいかに怖いか、この段階で理解した。
杖で歩けても混雑している電車に乗るのは実質ムリ。転倒してしまうだろう。
元の生活に戻るのはやっぱり難しいのでは、と毎日思っていた。
歩行訓練の後、腰痛、ストレッチで解消
初めて、平行棒のようなものにつかまりながら歩く訓練をした時のこと、
病室に帰ってきたら、腰がとても痛い。
ほとんど寝たきりの生活で体がこわばっていたせいか、柔軟性が落ちたせいか?
理由はわからないが、歩いて腰に激痛が走った。
骨折とかはなかったから、筋肉関連かと検討をつけた。
病室でひたすらストレッチをやったら次の日に腰の痛みはひいた。
寝たきりの生活だったので、あっという間に体が固くなった感触があった。
私の体の使い方の癖にも問題があるのだろう。
私の場合、たいてい梨状筋を伸ばすストレッチをすると腰痛がおさまる。
病室の床をアルコールで除菌して、床でのストレッチ30分ほどが夕食後の日課になった。後でリハビリ専門の施設に入ったときは、レジャーシートをしいてストレッチしていた。突然看護師がストレッチ中に入ってくることもあったが、「ヨガですか」と言われたりした。
ヨガのポーズと似ているものはたしかに複数ある。
ヨガはやったことないけど、いずれやってみたい。
水飲める?
水飲める?
5月中旬に交通事故にあい、救急車で運ばれ、入院、左手足まひ、からリハビリで回復、の様子を記事にしています。
結構長い。まだ入院して3日目の話だ。
リハビリが始まる、入院して3日ほどたったころ。
少しづつ喋れるようになってきた。
運ばれて来た時からずっと点滴で何も口にしていない。
看護師が吸い飲みと言われる、プラスチック製の、水を飲む道具を持ってきた。
これで水を飲んでみろという。
「水を飲む?
普通にできるに決まってんだろ?
変なこと言うなあ。」
そう思いながら水を飲み込もうとしたとたん、
ゲホゲホッとむせた。
看護師は、やっぱりね、という顔をしている。
嚥下障害とは?
私の場合、顔の下半分くらいが麻痺していて、飲み込む、嚥下、という動作も麻痺のため、できなくなっていたのだった。
嚥下障害、と言うものだ。
その頃喋れるようにはなったが、口の左半分はまだ、「イーッ」ができなくなっていた。
まさか水が飲めないなんて。
次の日もやはりむせた。
その次の日は口の麻痺が減ったので、慎重に飲んでみたら、できた!水が飲めた!
嚥下食?
水が飲める、ということで、点滴をやめ、スープのような嚥下食、と言うものを食べられる(飲む?)ようになった。
嚥下食、は普通の食事の味がするが、全部スープ、ペーストのような形状をしている。
さばの味噌煮の嚥下食とかだと味が本物の料理の味だが、形がスープ、のような不思議な料理だ。
結構おいしいので、病院食は進化している、と思った。
カレーは飲み物、と思ってかきこんで食べていた私には好都合な食べ物だ。
(大好きな玄米とかはちゃんとかんでますよ、かたいんで)
飲み込むときにむせたかどうか、毎日看護師さんのチェックが入った。
飲み込むことができるようになってからは、慎重に飲むようにしたので、その後むせることはなかった。
嚥下食がトラブルなく食べられると、医師の許可が出て少し食べ物の形をした柔らかい軟采、を食べる。
このように一歩一歩段階をあげていく。なので課題をクリアできないと、次に進めない。これまでと違って、とても慎重に飲みむようにした。
私は嚥下で失敗しない程度に早い段階で麻痺から回復したが、後に転院した、リハビリ専門の施設では、嚥下の指導をしてくれる人がいることを知った。
どこまでどのくらいの期間で回復できるのか、医師も自分もわからないので、毎日の目の前の課題をクリアするのに必死だった。
ただ、1日の終わりに、一人で病室で食べていると、フツーに家族が集まって食べる記憶がよみがえる。家族で食べる料理は、どんな料理でもおいしいものだな、と思った。
パートナーはほぼ毎日保険やら病院やらの手続きの話をするため病室に来てくれたけど。私は手足がまひした入院患者で、リハビリは始まったが、立って歩けないので、いつ出れるのかわからない。家族のだんらんなどとは縁遠い状態だった。
リハビリ始まり
少しずつ動けるように
交通事故で入院し、3日を過ぎた頃から、少し声が出るようになり、手足も少し動くようになった。
少しづつ回復してきた!
午前中、定期的に医師が7、8名で各ベッドを巡回してくる。
そして手足を動かせと言われる。
麻痺のレベルチェックだ。
推測だが、事前に「この患者はどんな状態かか」を巡回する前にカルテを見ながら話をしているのでは、と思った。
記録上の症状と、実際の患者との差を確認しているように見えたので。
毎日少しづつ回復してきて、少し喋れるようになったら、巡回で来た医師たちが、
「hyoga67さんが喋った!!!」、
少し手足を上げたら、
「hyoga67さんが動いた!!!」、
と医師たちの間にインパクトが走るのがこちらにも伝わってくる。
担当の医師からは「手足を動かせ!」と常に言われていたので、
ううう、
とうなりながらなんとか動かそうとしていた。
でもあまり動かなかった。
後で担当の医師に聞いたら、
「君は動けるようになるとは思ってなかった。
動け!って言い続けて、万が一にも動くようになるかもしれない、
と思って言い続けていた」
とのこと。
巡回の医師たちも経験上、私が回復すると予測はしていなかった、だから私が回復して動いたので、驚いてたのだろう。
何度も書いた気がするが、担当の医師からも何度も
「君はレアケースだ」と言われていた。
レアケースでわかんないこと片付けんなよ、との私のひそかな思いが、不満そうな顔の表情から伝わったのか、後でその医師は文献にあたってくれ、「似たような事例があった」と教えてくれた。
リハビリ開始
少しずつ回復して動く範囲が少しづつ広がってきたので、リハビリが始まった。
初日は、ベッドに作業療法士の方が来て、手足を動かすということをやった。
最初は、
「オレの左手足は動かないんだよ!、
何するかわかんないけどムダだよ!」
と思っていた。
身体が急に不自由になってヤケになってました。
作業療法士の方すいませんでした。後で優良患者になれるよう努めましたんで。
医師も動くのか、回復するのか予想できない、ので、本人も単純に「オレは回復できるさ!」とかまったく考えられなかった。
それより先に最速の電動車イスづくりに頭がいっていた…、何でだろう?
しかし、作業療法士の方が手足を動かしていると…、
あれっ?
左の手の指が少し動くようになった!!
(このころは、手足が動かせたが、指はほとんど握れませんでした)
「もしかしてまた、
エレキギター弾けるようになるかもっ?!」
と、うれしくて叫んでしまった。
(と言っても人前で弾くほどの腕ではないですが…)
調子に乗って作業療法士の方から教わった、手足の運動をそのあとは、やり続けた。
動いている手足の先を良く見ながらやってくれとのこと。視覚のフィードバックが意味があるらしい。
リハビリの前後で急に回復してきて、ベッドで起き上がれるようになったりした。
筋トレしてる?
ちなみに、その作業療法士の方が寝たきりだった身体をほぐしてくれたが、
「大胸筋とか、上腕三頭筋とか、随分発達してますね?
何かやってますか?」
と言って驚いている。
ジムに行っていた、と答え、ジム通いを勧めておいた。
(そのころ私は体が動かなかったので、パートナーとジム退会の手続きの話をしていた…)
事故前の話になるが、ジムに行っていると言うと、
大抵逆の意味で驚かれていた(特に女性)。
「(ジムに行ってるようにムキムキに)見えない」と。
ジムに行っているというと、ムキムキになるために行くもの、と一般的なイメージができているようだ。ボディビルやっているんですね、とか言われるし。
私は筋トレはムキムキになるためにやっていないし、
なるべく筋肥大しないようにやっているので意図通りなんだが。
しかし作業療法士さんには筋トレはすぐにバレたようだ。
なので「この動作は中臀筋にアプローチしているんですか」とか(半端な知識で)雑談させてもらうことにした。
病院で担当してる患者さんには、あまり筋肉がある方が私以外いないため、驚かれたようだ。
50代の私は若輩者となる、患者の年齢層からすると、やむをえないが。
しかし筋トレの普及率が非常に低いとも言える。肝心な層に筋トレの普及が足りない。
病室でも、
「スモーデッド、治ったら早くやりたいねえ」とか
会話が弾むようになるといいけど。
でも今は自分が立って歩けるようになるのが先決だ。
通っていたジムは病院の近くで、窓から見える場所にあった。
入院中、ジムを眺めることができたが、遠い、違う世界の景色のように見えていた。
事故直後は全く動けず
頭打って動けず
対抗の右折車が、私のクロスバイクの目の前に、同じ進行方向の停車中のミニバンから突然出てきて、なすすべなくぶつかった。
クロスバイクは事故担当の警官の方によると、「ジャックナイフ状態」だったとのこと。
私は自転車から放り出され、相手のクルマのボンネットにアタマから落ちた。
意識は無くなり、次に気がついたら、周りの人たちが呼びかけていた。
「大丈夫ですよ」と言って立ち上がろうとしたが、身体は全く動かず、返事もできない。
救急車で運ばれ、病院らしきところに着く。
その間も呼びかけに応えられない。
手を動かせ足を動かせに右手足は反応できたが、左手足は動かない。声も出せない。
脳挫傷
幸い、ボンネットの上に落ちたせいか、頭、首、背中などの骨折がなかった。
この後本格的なリハビリのために転院した施設のカルテのシステム上は、びまん性軸索損傷、との記述があると、言語療法士から聞いた。各方面に提示するために出してもらった診断書上はその記載はなかった。
左手足は棒のよう
手足はいつもは、動かそうと思えば、いつでも思った通りに動くものだった。
しかしいくらうなって左手足を持ち上げようとしても何も変化せず、ただの棒のようだった。気合いを入れても動かない!
後で診断書を見ると、脳外傷による左手足の麻痺、となっていた。
ここはどこ?
看護師の方に、
「ここがどこだかわかりますか?」
と聞かれたが、病院名を告げられてないのと、運ばれてから、ずっと寝ている状態のため、天井しか見えない。今いる場所は全くわからない。
「こ、後楽園ホール」とか、
「美人がたくさんいるから天国ですか?」と
言いたかったが、口が麻痺して喋れないので首を振るしかできない。
家の近くの大きな病院ということを聞いた。
ここから3日ほど寝たきり、かつ眠ったり起きたり、だった。
1カ月ほど頭痛がひどく、頭痛薬を処方してもらっても効かなかった。
電動車いすに乗るしかない、と、この時考えいた。
で、どう改造すれば電動車いすが速くできるのか、調べなきゃ、と思っていた。
違法改造ならあきらめるが。
仕事場まで遠いので仕事を変えるしかないとも。
決まりきった生活から、急に先が全くわからない生活になった。
起きあがれないのでトイレも行けない。
部屋が暑いのに喋れないので何もできない。
字はキレイな方がいい
筆談はできるだろうと右手でパートナーにして欲しいことを紙に書いてみるが、字が汚くて全く読めないようだ。
この時点でパートナーは
「完全にこの人は壊れた、もうこの人とコミュニケーションは取れない」
と、思ったそう。
親戚に脳梗塞になった方がいて、コミュニケーションが全く取れなかったとのこと。それと重なって見えたらしい。
ただし、字が汚いのは、事故の前からなので、事故のせいではないのだが。
字はキレイにこしたことはない。
スーツを着て号泣?!その訳は?
スーツを着て号泣?!
7月中旬のある朝、スーツを着た途端に号泣しそうになった。
スーツ着ただけで?
着るのは2カ月ぶりでした。
実は私、5月の中旬に、自転車に乗っていてクルマとぶつかる交通事故にあい、6月末まで入院していたのです。その間のブログは更新が止まりました。
当初の診断では、脳外傷による左手足麻痺、でした。ついでに顔の下の部分も麻痺したので最初は喋れませんでした。
パートナーは集中治療室で動けない私と面会し、号泣していました。
事故直後は、生計を一にしているパートナーに、
「左手足の麻痺だから、電動車いすにしか乗れない。仕事も通えない。生活は、悪いけどこれまでから変わる」と伝えていました。
そこから回復し、立って歩けるようになり、復職のため、産業医との面談に行くために、2カ月ぶりにスーツを着たのです。
左手足の麻痺、からリハビリで回復し、後遺症はない、と診断が6月末に出ました。
担当医からは、「君の回復は予想より早かった」と言われました。
マイナスの感情は無視で?
リハビリでだんだん回復し、立ったり歩いたり、が出来るようになる途中は、必死だったので、自分の感情は脇に置いていた感じでした。
もともと、苦しい時もキツイ時も、自分の感情はいったん脇に置いて、感じないようにする癖があるようです。
それが、何年も着ていた仕事の服を、2カ月ぶりに着た途端に、何とも言われぬ感情に襲われました。
スーツ着ただけで泣くなんて、ありえない。
事故後の左手足麻痺による、悲しみ、絶望感、人に頼らないと何もできない無力感、将来が見えない不安感などマイナスの色々な感情を押し殺して無視していたので、少し安心してしまったのかもしれません。
脳外傷による、高次脳機能障害が起きると、自分の感情を抑えられず、簡単に怒ったり泣いたり、ということが起きることがありますが、私には起きませんでしたので、それとも違います。
パートナーに見られたら、
「あの時スーツ着ただけでメソメソしていた」とか言ってずっとネタにされます。
今は、幸い、元の職場で同じ仕事に携わっています。
事故にあって左手足が動かない状態から、リハビリで回復しました。
その途中、色々感じたことをプログに載せていこうと思います。
事故担当の警官の方の警告
事故の調書を作るため行った警察署では、担当の警官の方から、
「自転車乗るならヘルメットかぶって!」
(私はクロスバイク乗るときかぶってなかった)、
「クルマ乗るならドライブレコーダー付けて!」
(相手のクルマのドラレコで事故の状況が全て把握できたとのこと)、
「君はたまたまぶつかるところが柔らかいボンネットだったから助かったけど、違うところに当たったら死んでたよ!」
と言われました。
警察の方は、いろいろな事故を担当され、様々な事故を見ているのでしょう。その言葉は心に響く重さがありました。
皆さんも気をつけてください。
最後に、
命を支えるため、日々目の前の事態に対処されている医療関係者、リハビリに関わる関係者の方々に感謝いたします。
元気に生活していくことが恩返しと思っています。