入院中に思ったこと
今回は、交通事故で入院していた時に思ったことの記事。
今年5月中旬に自転車に乗っていて、交通事故に合い脳外傷となり、救急車で運ばれ、入院。左手足の麻痺からリハビリで回復し、6月末退院。病院の検査では、高次脳機能の障害もなく、7月中旬から元の職場に復職しました。
退院時の筋力測定では、左足を曲げる動作が、反応速度、筋力ともに
70代男性平均以下でした。
以外は20代後半の一般男性平均と同じくらいでした。
先週試しに2時間40分のラン(1キロ7分30秒のペース)+30分のウォークを連続でやりましたが、左のおしり、足も筋肉痛にはなりましたので、70代男性から60代男性くらいには回復してると思います。
右足は左に比較するとパンパンに疲労しましたが。
だいたい元に戻ったからいいんじゃ?、という感じですが、途中は、先がわかりませんでした。
交通事故で変わったこと
脳外傷だったので、高次脳機能の検査が終わるまで、元の職場にもどれるかは、わかりませんでしたが、途中の検査の状況からそんなにひどい結果にはならないと思っていました。
なので仕事は完全に同じことをやることは無いにせよ、ほぼ近しい元の仕事に戻るだろうとは想定していました。
ただし、易疲労性という疲れやすさ、は症状があります。
夜8時は眠いです。
それより、左手足は麻痺後、普通に立って歩けましたが運動機能は元のようではないと感覚で自覚はしていました。
私はたまたまかなり回復しましたが
救急医の方からは、左手足が麻痺で動かない状態のときでも「君は軽かったね」とおっしゃっていました。
頭を打った後、意識が無くなっていた時間が比較的短い(直後から多少意識があった)のと、私は事故の記憶があったからだそうです。
交通事故で救急車で運ばれてきた人の治療をずっと担当されていたから、
もっとひどい事故にも対処してきていたのでしょう。
調書をつくるため、警察署に行って、事故担当の警官の方と会話した時も同じようなことを言われました。
私はたまたま助かったのだと。
ぶつかる場所が違っていたら、死んでいたと。
担当していた警官の方が、何件も、私よりひどい事故を担当されていたので、そう思われたのでしょう。
担当医の方も「動くと思ってなかった」私の左手足は動くようになったので、本当にたまたま回復したのでしょう。
普段事故を見ている方からすると、軽い方の私の症状でしたが、
当人には影響は大きいです。
集中治療室で左手足が動かなくなって、おまけに麻痺でしゃべれなくなった私と面会したパートナーはかなりショックだったようです。
事故から時間が経っていますが、今でもその時のことを会話しようとすると、トラウマになっているようで、事故の会話はできません。
まあそれでも事故を冗談にできるようになったみたいなので、こちらも回復してきているんじゃないでしょうか。
回復途中で思ったこと
仕事はどうにかなるとして、身体は事故で変わってしまった。
回復途中で思ったのは、
「残り元気にすごせる時間の中で、この身体でどう時間を使うか」
ということです。
もともと50代も半ばにさしかかろうというところ、元気で過ごせる時間は限界が見えてきている状態なのです。自分の過ごし方しだいで元気に生活できる時間は延ばせるはずですが、ちょっと制限付きに事故で変わりました。
事故に合わなくともやれることは限界があります。
事故直後の薬も効かない頭痛が治まってきてから、改めて、何がやりたいのか入院中のベッドで考える、というより、アタマを悩ましていました。
自分の答えは?
ここで、
…しばし入院中のベッドの上で瞑想にふけっていたYu(id:hyoga67)は、
脳裏に自分の未来のイメージをつかみ、カッと目を見開いた…、
「これだ!!、これが私の進むべき道なのだっ!!!
筋トレじゃあ!!筋トレで世界を健康にするのだぁー!!」…、
みたいな感じで入院中に簡単にすっきり答えが出れば、話は面白いのですが、
そんなワケはありません。
今は自分がやりたいことを、無理せずつづけたいと思います。瞑想ではなく迷走はすると思いますが。
今回は、入院中に今後の事でもんもんとしていたが、自分がやりたい方向に時間を使おう、と改めて感じた、というお話でした。
ありゃりゃ、単純すぎでしょうか…。
あんまり参考にならないお話でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。